代表者紹介

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所長 佐藤享子プロフィール
1966年2月 宮城県生まれ・神奈川県育ち・横浜市在住
武蔵野美術短期大学デザイン科卒業後、都内の映像制作会社に就職。
テレビ局のニュースセンターでニュースの映像編集業務などに25年携わる。
自らの体調不良や家族の介護をきっかけに中医学を学び、
2013年 上海中医薬大学付属日本校 推拿(すいな)専科卒業
世界中医薬学会連合会認定・国際推拿按摩師(こくさいすいなあんまし)


◇きっかけは少女マンガ?

・はじめて意識した、将来の夢

小学生の頃、そばかす、なんて、きにしないわ♪っていうテーマソングの、
アニメにもなった大好きなマンガがありました。

孤児院で育って、意地悪なお金持ちの子たちに虐められるけど、
持ち前の明るさで人生を切り開いて、大人になって看護師になる女の子、
キャンディス・ホワイトの物語、キャンディ・キャンディです。

妹がコミックを全巻揃えていたので、当たり前のように借りて夢中になって読みました。
ページの角を折るクセがあって、よく怒られました。
そのかわりに私は「ベルばら」とか「オルフェウスの窓」を貸しました。
というより、読んでいいよ、って言っただけなので、妹が実際読んだかどうか、
定かではありませんが・・・(*^_^*)

そのキャンディが私にとってたぶん初めて、職業とか、将来とかを想像するきっかけを
くれたのではないかと思います。

白衣の天使・看護師っていう仕事にすごく憧れて、特に看護師仲間のフラニーが、
従軍看護婦に志願するところで、戦争に行って負傷した兵隊さんを助ける仕事があるんだ!
すごい!っていうことで、その頃の私の夢は、従軍看護婦になること、でした。

もちろん、夢は叶えませんでした(笑)

ただケガの手当て、ということに、なぜかとても興味があったのは確かです。
ですから、中学卒業後は高校へ行かず、看護学校に行こうと思っていました。
高校でやりたい事なんかないし、はやく看護師さんになりたかった。

親に相談すると、ではまず、見学に行ってみよう、という事になりました。
近くの看護学校の校門をドキドキしながら入って、校庭側から教室の窓を
背伸びして覗いて見ました。
ああ、私、来年からここで勉強するんだなあ・・看護師さんになるんだなあ・・・
って思うはずでした。

ところが真っ先に目に飛び込んできたのは、薬品か何かでシミのついた、
薄汚れたカーテン。
暗い部屋の隅に置かれたピンセットやハサミ。

とても古い校舎だったので仕方のないことですが、その一瞬がなんともおどろおどろしく
怖くなって、ウキウキ、わくわくしていた気持ちが一気に冷めてしまいました。

学校に見学を申し込んだわけではなく、本当にただ見に行っただけだったんだと、
今思えばずい分雑なリサーチです。

ですがたったこれだけで崩れ去り、冷める程度の夢だったのです。

家に帰って「行くのやめる・・」
って言った時、きっと両親はほっと胸をなでおろしたのではないかと思います。
今度聞いてみよう・・。

その後、すっかり看護師のことは頭からなくなりましたが、解剖とか、ウイルスとか、
病気といったワードが大好きで、科学や宇宙など、謎だらけの仕組みにどうしようもなく
惹かれてしまうマニアックなところは、この頃すでに出来上がっていたのかもしれません。

・大ヒット映画のハイスクールバージョンでふたたび・・・

高校生の時、なぜか文化祭で映画を撮ることになりました。
私はその脚本を担当しました。
題して、「愛と青春の旅立ち・〇〇高校サッカー部(爆)」

湘南の海をランニングしたり、米軍キャンプの花火大会に行ったり(神奈川県民なので)
あちこちでみんなでロケをしました。

そしてそのオープニングがなぜか保健室。
BGMはマイケルジャクソンのビートイット。
高校生らしい、ものすごい組み合わせです。

主人公がケガをして大会に出場できるかどうか・・・的な場面だったはず・・?
自分で書いておいて良く覚えていないのですが、主人公のサッカー部のエース・達也が
ケガをして(当時タッチというマンガが流行っていた)、保健室でマネージャーで彼女のみなみに
ケガの手当てをしてもらって、大会に出場するかしないかでケンカになって保健室を飛び出していく!
・・・はいカット!

といったシーンじゃなかったかなあ。
で、ここでも無意識にケガと保健室。
やっぱりどこまでもケガの手当てが好きだったみたいです。
余談ですが、この映画で生まれて初めてお姫様抱っこを経験しました。
途中からバトンタッチした脚本担当者が勝手に作ったシーンで晴れてお姫様デビュー。
恥ずかしかった・・・(←うそ)

その経緯からか、就職はあるテレビ局に入っている映像プロダクションでした。
カルガリーオリンピックのスタッフを募集していたのです。
映像の事もテレビの事も、何も知らなかったけど、ここでの映像の編集の仕事は、
天職だと思うほど、本当に楽しくて充実していました。

◇手当する側ではなくされる側へ

・選ぶのは自分

結婚して35歳くらいまではとっても元気でした。
ところが35歳を過ぎたころから生理が日増しに重くなってきて、子供も出来なくて、
しかも義母の介護が重なって、お腹の中は筋腫でいっぱいになりました。

最初の担当医師は男性で、MRIを見るなり、「これは~子宮全摘だね!」と言っていましたが、
まだ35を過ぎたばかりでそれは考えられませんでした。

そこから自分で自分の体を守るための勉強が始まったように思います。

最終的に4人の医師と出会いましたが、所属している大学や研究テーマなどにより、
考え方がそれぞれ違うという事を知りました。
みんな言うことが違うので、結局私にとって、いったいどんな方法が一番将来を
希望で満たせるのか?
それは自分で判断するしかないということもわかりました。
でもお医者さんは勉強し過ぎている患者さんを嫌う傾向があることも事実だと思います。

そんな中、最後に出会った女医さんは、私が自分でもいろいろ勉強していることを知ると、
私が調べているワードやコミュニティの事をちゃんとご自分も調べてくれて、
その上でアドバイスをくれました。

そこから道が開けたのですが、まだまだその道はジャングルの獣道でした。

・中医学との出会い

UAE・子宮動脈塞栓術という手術を受け、筋腫は3年で80%まで小さくなり、手術は成功、
となりました。
この方法は、根治を目指すものではなく、生活の質を高めるための1つの方法です。

ですが、出血の量は劇的に減り、1年後には、一人で旅行に行き、1日中歩き回っても
貧血にならないくらいにまで回復しました。

が、徹夜を続けられるとか、どんなに無茶をしても元気満タン、という感覚は
どこにもありません。
常にどことなく不安で、ムリをするとたちまち具合が悪くなる。
そんな状態は続いたままでした。

そんな時、たまたまネットで中医学というものを知りました。

中医学とは中国の伝統医学のことです。
その歴史は古く、紀元前300年くらいに書かれたと言われている、現存する最古の医学書
「黄帝内経(こうていだいけい)」が未だに臨床で役に立っているような、
エビデンスは無くても、経験と結果の量が膨大な医学です。

私は実は中国とは縁があり、学生時代に40日間、フリーでバックパックを背負い、
旅をした思い出があります。
吉川英治さんの三国志に影響されて行ったのですが、三国志という物語のスケールが、
20年しか生きていないその頃の私の、理解の限界を超えていたのです。
どうしてそんな考えが生まれるのか、そこはどんな環境なのか、どうしても
感じてみたかった。
そこは、匂いや音や、湿気や暑さ寒さ、味も危険も言葉もすべて、日本にいたら
一生触れることの無い異空間でした。
底知れない膨大な経験に基づいた知恵の歴史。
中医学はそんな知恵のほんの一部なのかもしれません。

まさかそんな伝統的な医学を、日本で学べるとは思っていなかったので、これは縁だと。
タイミングといい、これはもう学びなさいと、目の前にプレゼントされたように思いました。

ですが最初は手強く、理解するのには随分苦労しました。

だんだん慣れて、自分なりに世界をイメージできるようになると、
体の中の事と生活環境や食事の事などが、すべて一つに繋がっていて、
影響し合っていて、だから今の自分が出来たんだ。ということが分かるようになりました。

結局のめり込んで中国政府公認の国際ライセンスを取得したわけですが、
この時の勉強が今ものすごく役に立っています。

子供の頃、手当することがなぜか好きで、大人になって手当される側にまわり、
その内側を見ることが出来た。
いろんな道を通ったけど、結局医学の方面に向かうように出来ていたのかもしれません。

◇女性未病研究所

・女性が夢を中断する時

女性は閉経の前後5年くらいの間、ホルモンのバランスが崩れやすく、人によっては
動けなくなるほど、体調が変化することもあります。

またちょうど40代は、人生においても最も脂が乗っている時期なのではないでしょうか。
そんな時に体調が悪くなる。
しかも検査では正常で原因不明。

西洋医学ではどうすることも出来ないとなると、代替医療や民間療法など、
いいと思えるいろいろな方法を試みて、自分にピッタリ、効果のあるものが見つかれば安心です。
ですが、見つからなかったら・・。

今まで積み上げてきたものを諦めたり、中断するような、辛い決断を迫られることも
あるかもしれません。

私は自分で勉強する道を選びましたが、そんな時、自分の体の事を話せる人がいたら、
どんなに安心できたかと今でも思います。

お医者さんはじっくり話を聞いてはくれません。
下手をすると遮られる・・まあ、仕方ないですけどね(^_^;)

体の不安をじっくり聞いて、どうしたらいいかを一緒に考えてくれる人。
そんな人がいてくれたら、一人でも前へ進む勇気が持てるのではないかと思いました。

西洋医学ではわからなかったいろんな症状の原因は、中医学で見つかることも少なくありません。
その根拠は、2000年以上の経験の積み重ねがすでにあるから。

だから、自分の体に備わっている自然治癒力を、どのように強化したら、
その人の体に最も負担無くバランスを整えることができるのか、がわかるのです。

・テレビ局での経験も無駄ではなく・・

私はサロンを始める直前まで、テレビ局に入っているプロダクションで仕事をしていました。
職場はテレビ局のニュースセンターやその他いろんな部署。
いろんな番組やニュースの映像の編集を担当しました。

テレビ局にはお世話になっていた会社以外にも複数の会社が入っているので、
その会社の人、アルバイトの学生、ディレクター、プロデューサー、アナウンサー、
カメラマン、技術さん、タレントさん等々。
考えたら、すごい数の人とかかわりあってきたんだな、って思いました。

テレビ局は普通の会社よりも、もしかすると特徴的な人が多いかもしれません。
そんなたくさんの人達と一緒に、一つのニュースや番組を作るという作業は、
いろんな可能性を、最良のカタチで一つにまとめるという作業でもあります。

今、私がカウンセリングをする中で、いろいろな人間関係やお仕事のお悩みも聞きますが、
もしかすると、そのテレビ局での数百通り、もっとかな?の人間関係の経験が
すごく役に立っているように思います。

私のカウンセリングは、からだのカウンセリングです。

からだの状態は心の状態でもあります。

からだからでも心からでも、整えるのはどちらからでもいいと思います。
ですが、体の調子が整うだけでも、気分は前向きになることは間違いないように思っています。

もしお薬を手放せないのであれば、お薬はお守り代わりに持っていていい。
お薬に関しては私の管轄外なのでお医者さんと相談していただいています。

ですがそのうち、気が付いたらお薬が要らなくなったらいいですよね?

特別な事はしません。
もともとあるもので、何とかできるというのが、私の考えです。
それが一番シンプルで、結局無駄も少ないと思います。

いろんな意味で、安心してもらいたい。
私が経験したことが、誰かの安心に繋がっているかもしれないし。
誰しも、喜びに満ちた時間を過ごしたいはず。
そんな未来のために、私の力を使ってくださいね!

 

 

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