代表者紹介

2R5A1197-1 (400x267)

所長 佐藤享子プロフィール
1966年2月 宮城県生まれ・神奈川県育ち・横浜市在住
武蔵野美術短期大学デザイン科卒業後、都内の映像制作会社に就職。
テレビ局のニュースセンターでニュースの映像編集業務などに25年携わる。
自らの体調不良や家族の介護をきっかけに中医学(中国伝統医学)を学び、
2013年、上海中医薬大学付属日本校・推拿(すいな)専科卒業
世界中医薬学会連合会認定・国際推拿按摩師(こくさいすいなあんまし)


◇きっかけは少女マンガ?

・はじめて意識した、将来の夢

小学生の頃、

♪そばかす、なんて、
きにしないわ♪

っていうテーマソングの、
アニメにもなった
大好きなマンガが
ありました。

孤児院で育って、
意地悪なお金持ちの子たちに
虐められるけど、

持ち前の明るさで
人生を切り開いて、

大人になって
看護師になる女の子、

キャンディス・ホワイト
の物語、

キャンディ・キャンディです。

妹がコミックを
全巻揃えていたので、

当たり前のように
借りて夢中になって
読みました。

ページの角を
折るクセがあって、
よく怒られました。

そのかわりに私は
「ベルばら」とか
「オルフェウスの窓」
を貸しました。

というより、
読んでいいよ、

って言っただけなので、
妹が実際読んだかどうか、
定かではありませんが
・・・(*^_^*)

そのキャンディが
私にとって
たぶん初めて、

職業とか、
将来とかを想像する
きっかけをくれたのでは
ないかと思います。

白衣の天使・看護師
っていう仕事に
すごく憧れて、

特に看護師仲間の
フラニーが、
従軍看護婦に
志願するところで、

戦争に行って
負傷した兵隊さんを
助ける仕事があるんだ!
すごい!

っていうことで、
その頃の私の夢は、
従軍看護婦に
なること、

でした。

もちろん、
夢は叶えませんでした(笑)

ただケガの手当て、
ということに、

なぜかとても
興味があったのは
確かです。

ですから、
中学卒業後は
高校へ行かず、
看護学校に行こうと
思っていました。

高校でやりたい事
なんかないし、

はやく看護師さんに
なりたかった。

親に相談すると、
ではまず、
見学に行ってみよう、

という事になりました。

近くの看護学校の校門を
ドキドキしながら入って、
校庭側から教室の窓を
背伸びして
覗いて見ました。

ああ、私、
来年からここで
勉強するんだなあ・・

看護師さんに
なるんだなあ・・・

って思うはずでした。

ところが真っ先に
目に飛び込んできたのは、

薬品か何かで
シミのついた、
薄汚れたカーテン。

暗い部屋の隅に
置かれた
ピンセットやハサミ。

とても古い校舎
だったので
仕方のないことですが、

その一瞬が
なんともおどろおどろしく
怖くなって、

ウキウキ、わくわく
していた気持ちが
一気に冷めて
しまいました。

学校に見学を
申し込んだわけではなく、
本当にただ見に
行っただけ
だったんだと、

今思えばずい分雑な
リサーチです。

ですがたったこれだけで
崩れ去り、
冷める程度の夢
だったのです。

家に帰って
「行くのやめる・・」
って言った時、

きっと両親は
ほっと胸をなでおろした
のではないかと思います。

今度聞いてみよう・・。

その後、
すっかり看護師のことは
頭からなくなりましたが、
解剖とか、
ウイルスとか、
病気といった
ワードが大好きで、

科学や宇宙など、
謎だらけの仕組みに

どうしようもなく
惹かれてしまう
マニアックなところは、

この頃すでに
出来上がっていた
のかもしれません。

・大ヒット映画のハイスクールバージョンでふたたび・・・

高校生の時、
なぜか文化祭で
映画を撮ることに
なりました。

私はその脚本を
担当しました。

題して、
「愛と青春の旅立ち
・〇〇高校サッカー部(爆)」

湘南の海辺を
ランニングしたり、

米軍キャンプの
花火大会に行ったり
(神奈川県民なので)

あちこちでみんなで
ロケをしました。

そしてその
オープニングがなぜか
保健室。

BGMは
マイケルジャクソンの
ビートイット。

高校生らしい、
ものすごい組み合わせです。

主人公がケガをして
大会に出場できるかどうか・・・

的な場面だったはず?

自分で書いておいて
良く覚えて
いないのですが、

主人公の
サッカー部のエース・達也が

ケガをして
(当時タッチという
マンガが流行っていた)、

保健室で
マネージャーで
彼女のみなみに

ケガの手当てを
してもらって、

大会に出場するか
しないかで
ケンカになって

保健室を飛び出していく!
・・・はいカット!

といったシーンじゃ
なかったかなあ。

で、ここでも
無意識にケガと保健室。

やっぱりどこまでも
ケガの手当てが
好きだったみたいです。

余談ですが、
この映画で生まれて初めて

お姫様抱っこを
経験しました。

途中から
バトンタッチした
脚本担当者が

勝手に作った
シーンで晴れて
お姫様デビュー。

恥ずかしかった・・・(←うそ)

その経緯からか、
就職はあるテレビ局に
入っている
映像プロダクションでした。

カルガリーオリンピックの
スタッフを募集
していたのです。

映像の事も
テレビの事も、
何も知らなかったけど、

ここでの映像の
編集の仕事は、

天職だと思うほど、
本当に楽しくて
充実していました。

◇手当する側ではなくされる側へ

・選ぶのは自分

結婚して
35歳くらいまでは
とっても元気でした。

ところが35歳を
過ぎたころから
生理が日増しに
重くなってきて、

子供も出来なくて、
しかも義母の介護が
重なって、

お腹の中は筋腫で
いっぱいになりました。

最初の担当医師は
男性で、
MRIを見るなり、

「これは~子宮
全摘だね!」

と言っていましたが、

まだ35を過ぎたばかりで
それは考えられません
でした。

そこから自分で
自分の体を守るための
勉強が始まったように
思います。

最終的に4人の医師と
出会いましたが、

所属している大学や
研究テーマなどにより、

考え方がそれぞれ
違うという事を知りました。

みんな言うことが違うので、
結局私にとって、
いったいどんな方法が
一番将来を希望で
満たせるのか?

それは自分で判断するしか
ないということも
わかりました。

でもお医者さんは
勉強し過ぎている
患者さんを
嫌う傾向があることも
事実だと思います。

そんな中、
最後に出会った
女医さんは、

私が自分でも
いろいろ勉強している
ことを知ると、

私が調べている
ワードや
コミュニティの事を
ちゃんとご自分も
調べてくれて、

その上で
アドバイスをくれました。

そこから道が
開けたのですが、
まだまだその道は
ジャングルの
獣道でした。

・中医学との出会い

UAE・子宮動脈塞栓術
という手術を受け、

筋腫は3年で
80%まで小さくなり、

手術は成功、
となりました。

この方法は、
根治を目指す
ものではなく、

生活の質を
高めるための
1つの方法です。

ですが、
出血の量は
劇的に減り、

1年後には、
一人で旅行に行き、
1日中歩き回っても
貧血にならない
くらいにまで
回復しました。

が、徹夜を続け
られるとか、
どんなに無茶をしても
元気満タン、

という感覚は
どこにもありません。

常にどことなく不安で、
ムリをすると
たちまち具合が
悪くなる。

そんな状態は
続いたままでした。

そんな時、
たまたまネットで
中医学というものを
知りました。

中医学とは
中国の伝統医学の
ことです。

その歴史は古く、
紀元前300年
くらいに書かれたと
言われている、

現存する最古の医学書
「黄帝内経
(こうていだいけい)」が

未だに臨床で
役に立っている
ような、

エビデンスは
無くても、
経験と結果の量が
膨大な医学です。

私は実は中国とは
縁があり、

学生時代に40日間、
フリーでバックパックを
背負い、旅をした
思い出があります。

吉川英治さんの
三国志に影響されて
行ったのですが、

三国志という物語の
スケールが、

20年しか生きていない
その頃の私の、
理解の限界を
超えていたのです。

どうしてそんな考えが
生まれるのか、
そこはどんな環境なのか、

どうしても感じて
みたかった。

そこは、匂いや音や、
湿気や暑さ寒さ、
味も危険も
言葉もすべて、

日本にいたら
一生触れることの無い
異空間でした。

底知れない膨大な経験に
基づいた知恵の歴史。

中医学はそんな知恵の
ほんの一部なのかもしれません。

まさかそんな伝統的な
医学を、

日本で学べるとは
思っていなかったので、

これは縁だと。

タイミングといい、
これはもう学びなさいと、
目の前にプレゼント
されたように思いました。

ですが最初は手強く、
理解するのには
随分苦労しました。

だんだん慣れて、
自分なりに世界を
イメージできるようになると、

体の中の事と
生活環境や
食事の事などが、

すべて一つに
繋がっていて、
影響し合っていて、
だから今の自分が
出来たんだ。
ということが
分かるようになりました。

結局のめり込んで
中国政府公認の
国際ライセンスを
取得したわけですが、
この時の勉強が今
ものすごく役に
立っています。

子供の頃、
手当することが
なぜか好きで、

大人になって

手当される側にまわり、
その内側を
見ることが出来た。

いろんな道を
通ったけど、

結局医学の方面に
向かうように
出来ていたのかも
しれません。

◇女性未病研究所

・女性が夢を中断する時

女性は閉経の前後
5年くらいの間、

ホルモンのバランスが
崩れやすく、
人によっては
動けなくなるほど、

体調が変化する
こともあります。

またちょうど40代は、
人生においても
最も脂が乗っている
時期なので
ないでしょうか。

そんな時に
体調が悪くなる。

しかも検査では
正常で原因不明。

西洋医学では
どうすることも出来ない
となると、

代替医療や
民間療法など、

いいと思える
いろいろな方法を試みて、
自分にピッタリ、
効果のあるものが
見つかれば安心です。

ですが、
見つからなかったら・・。

今まで積み上げて
きたものを諦めたり、
中断するような、

辛い決断を迫られる
こともあるかもしれません。

私は自分で
勉強する道を
選びましたが、

そんな時、
自分の体の事を
話せる人がいたら、

どんなに安心
できたかと
今でも思います。

お医者さんは
じっくり話を聞いては
くれません。
下手をすると遮られる
・・まあ、
仕方ないですけどね(^_^;)

体の不安を
じっくり聞いて、
どうしたらいいかを
一緒に考えてくれる人。

そんな人がいてくれたら、
一人でも前へ進む
勇気が持てるのでは
ないかと思いました。

西洋医学では
わからなかった
いろんな症状の原因は、

中医学で見つかること
も少なくありません。

その根拠は、
2000年以上の
経験の積み重ねが
すでにあるから。

だから、
自分の体に備わっている
自然治癒力を、

どのように
強化したら、

その人の体に
最も負担無く
バランスを整える
ことができるのか、
がわかるのです。

・テレビ局での経験も無駄ではなく・・

私はサロンを始める
直前まで、

テレビ局に入っている
プロダクションで
仕事をしていました。

職場はテレビ局の
ニュースセンターや
その他いろんな部署。

いろんな番組や
ニュースの映像の
編集を担当しました。

テレビ局には
お世話になっていた
会社以外にも

複数の会社が
入っているので、

その会社の人、
アルバイトの学生、
ディレクター、
プロデューサー、
アナウンサー、
カメラマン、
技術さん、
タレントさん等々。

考えたら、
すごい数の人と
かかわりあってきたんだな、
って思いました。

テレビ局は普通の
会社よりも、

もしかすると
特徴的な人が多いかも
しれません。

そんなたくさんの
人達と一緒に、

一つのニュースや
番組を作るという
作業は、

いろんな可能性を、
最良のカタチで
一つにまとめる

という作業でもあります。

今、私が
カウンセリングを
する中で、

いろいろな人間関係や
お仕事のお悩みも
聞きますが、

もしかすると、
そのテレビ局での
数百通り、

もっとかな?
の人間関係
の経験がすごく役に
立っているように思います。

私のカウンセリングは、
からだのカウンセリングです。

からだの状態は
心の状態でもあります。

からだからでも
心からでも、

整えるのは
どちらからでも
いいと思います。

ですが、
体の調子が整うだけでも、
気分は前向きに
なることは
間違いないように
思っています。

もしお薬を手放せない
のであれば、
お薬はお守り代わりに
持っていていい。

お薬に関しては
私の管轄外なので
お医者さんと
相談していただいています。

ですがそのうち、
気が付いたら
お薬が要らなくなったら
いいですよね?

特別な事はしません。
もともとあるもので、
何とかできる

というのが、
私の考えです。

それが一番シンプルで、
結局無駄も少ないと
思います。

いろんな意味で、
安心してもらいたい。

私が経験したことが、
誰かの安心に
繋がっているかもしれないし。

誰しも、
喜びに満ちた時間を
過ごしたいはず。

そんな未来のために、
私の力を使ってくださいね!

 

 

ページ上部へ戻る